私がサラリーマン生活で鬱になり、独立を選んだ理由

私がサラリーマン生活で鬱になり、独立を選んだ理由
この話は、ずっと語りたくないと思っていました。
誰かに理解されたくて書くわけでもなく、励ましが欲しいわけでもありません。
過去を整理するためでも、起業のストーリーとして使いたかったわけでもありません。

ただ、今日ふと、書いてもいいと思えました。
そんな気分の日があるのだと思います。

私がサラリーマン生活の最後に鬱病になったのには、いくつもの要因が絡んでいました。
ハードワーク、コロナ、組織の重さ、自分の生き方への違和感。
その中心に、一人の人物がいます。

その人は、私にとって
「最もお世話になった人」であり、
同時に「最も私のメンタルを壊した人」でした。

サラリーマン金太郎のような人でした。
50歳を前にして次期社長が決まっていて、圧倒的な実行力と出力で会社を動かしていました。
言葉はいつも鋭く、容赦がありません。
同時に、誰よりも高い視座で会社を俯瞰していました。

私がその会社に入った時、彼は私の直属の上司でした。
やがて社長が代わり、彼は経営企画のトップになり、私も同じように経営企画へ移りました。

そこで私は、初めて「会社を変える側」の仕事をしました。
年功序列と終身雇用のカルチャーを持つ大企業を、世界で戦えるグレートな会社に変えること。
それが私たちのミッションでした。

私たちはゼロから戦略をつくり、必要な変革を計画し、制度を動かし、人の意思を変え、
それらを現実に落とし込む仕事をしていました。
サラリーマン生活の中で、これ以上に濃い経験はなかったと思います。

変革には人事制度改革が必要になり、私は人事に深く入り込みました。
その過程で、常に彼がそばにいました。

強いアドバイスと、同じくらい強いプレッシャー。
成果への要求。
意思決定の速度。
時には罵倒されながらも、私は走り続けました。

しかし、同時に強い違和感もありました。

社員をラベリングすることです。
賛成か、抵抗か、ぶら下がっているのか。
人を変革に必要な「ピース」として扱う視点には、冷たさと正しさが同時に存在していました。

会社を良くするためには必要な視点だと理解していました。
ですが、私の倫理感には刺さりました。

そこに、コロナや働き方の変化、
自分の人生への焦りや未来への不安が重なりました。

ある日、私は立っていられなくなりました。
変革の途中で倒れ、投げ出す形で休職し、鬱病になりました。

最初は恨みしかありませんでした。
裏切られたようにも感じましたし、
「あの人のせいで私は壊れた」と本気で思っていました。

しかし、休職と療養、そして社会復帰をする過程で、
私の感情は少しずつ変化していきました。

振り返ってわかったことがあります。
彼から学んだ視点は、今の私を確かに形づくっています。

市場を俯瞰して捉える考え方です。
どこがボトルネックで、どこを解消すれば最大化できるのか。
私は『ザ・ゴール』の本質を、現場で「身体」で理解しました。

PLではなく、BSで経営を捉えること。
売上や収支ではなく、資金の流れと時間軸で企業を見ること。
短期ではなく、長期で考える視点。

それらは机で学んだ知識ではありません。
罵倒され、泥水を飲みながら身についた視座です。

今日ふと思いました。

恨みよりも感謝の方が勝っていると。

綺麗事ではありません。
痛みも悔しさもあります。
ですが、その全部が今の自分の「核」になっているのだと思います。

変革の途中で倒れたことは、ずっと私の中に悔いとして残っていました。
ですが、あれほど本気で経営を捉え、会社全体を動かした経験は、
確かに唯一無二でした。

この話を書けたのは、
傷が素材になったからだと思います。
語るべき理由ではなく、語ってもいいという気分になったからです。

ただ、それだけです。