1979
新潟県村上市生まれ
新潟県村上市生まれ。
神奈川県横浜市で育つ。
1990年代
文化と編集への関心
中高一貫の進学校を経て、慶應義塾大学経済学部へ進学。
一方で、「本当に好きなことを突き詰めたい」という思いから、湘南藤沢キャンパス(SFC)の文化人類学系ゼミ・講義にも通い、文化や人間社会について学ぶ。
同時期、東京・渋谷のバーで勤務。
ジントニックを日常的に飲み始め、ジンとの接点が生まれる。
また、後に人生のメンターの一人となる、編集者・波多野美奈子氏と出会う。
「本当に好きなことを熱狂してやること」
「文化的豊かさとは何か」
という思想に強い影響を受ける。
波多野氏は、『アメーバ経営』(稲盛和夫)をはじめ、数多くの経営・思想書の編集に携わっている。
2005
大阪へ。アップリカ入社
慶應義塾大学卒業後、ベビー用品メーカー・アップリカへ入社。
営業職として働きながら、
・工場
・品質
・開発
・製造
・海外顧客対応
などにも幅広く関わる。
宇陀市近郊の工場へ足繁く通う中で、宇陀という土地との接点が生まれる。
「現場に立つ」という原点特に印象的だったのは、新入社員時代に経験した「現場に立つ」ということだった。
週末には赤ちゃん本舗の売り場に立ち、販売や修理受付も担当。
競合と比較して修理件数が明らかに多いことに違和感を覚え、修理伝票を3か月間集めて分析し、社長へ改善提案を行った。
結果的に当時は改善されなかったものの、後に同部位を原因とした大規模リコールが発生。
「理想や正義感だけではなく、証拠を揃え、実行力で動かなければ世界は変わらない」という価値観の原点となった。
海外事業開発へ後半7年間は海外事業開発を担当。
アジア各国を飛び回りながら、
・商品開発
・サプライチェーン
・品質保証
・生産
・営業
・経営企画
などを横断的に経験。
経営者直下で、事業を“現場から動かす”経験を積む。
2014
江崎グリコへ転職
より深く海外事業へ入り込むため、江崎グリコへ転職。
中国にて、事業開発部長として、海外ビジネスをゼロから立ち上げる。
中国での事業開発
・現地組織構築
・マネジメント
・PL責任
・投資判断
・新規事業開発
などを経験。
中国初となる広告型パッケージ事業や、EC事業なども立ち上げる。
クラフトジンとの出会い2015年、上海で飲んだ「Monkey 47」をきっかけに、クラフトジンの世界へ強く惹かれ始める。
それまでジントニックを飲み続けていたが、以降は自然とMonkey 47を選ぶようになる。
また、2016年頃から日本国内でもクラフトジン蒸留所が生まれ始め、「いつかジンに関わる仕事がしたい」と考えるようになる。
2018
全社戦略と組織変革
関西ペイントへ転職。
経営企画部門として、全社戦略立案・推進に関わる。
さらに、
・人事制度改革
・組織変革
・全社横断プロジェクト
などにも深く携わる。
一方で、長年にわたる高負荷の中で、次第に心身のバランスを崩していく。
2023
立ち止まる時間
全社戦略や組織変革に深く関わる一方で、長年にわたる高負荷の中で心身を崩し、休職を経験。
効率や成果だけではなく、
「本当に豊かなこととは何か」
「自分は何をつくりたいのか」
を、改めて考える時間となった。
また、これまで仕事中心だった生活を見直し、
・料理
・香り
・酒
・空間
・人とのつながり
など、“文化的な豊かさ”そのものへ、改めて意識が向き始める。
2024年4月
サラリーマンを辞める決断
長年にわたる高負荷の中で心身を崩し、サラリーマンを辞める決断を行う。
この時点では、次に何をやるかは決めていなかった。
■スパイスカレーとの接続
同時期、大阪でスパイスカレーの食べ歩きを始める。
後の「スパイスとジン、宇陀す。」など、スパイス料理とジンのペアリング企画へとつながる、“スパイスと香り”への探求が始まる。
2024年6月
宇陀との再接続
奈良県宇陀市。
室生口大野駅から徒歩で、龍鎮神社を訪問。
森、空気、水、静けさ。
都市とは異なる環境に触れ、「ここで事業を起こしたい」と強く感じる。
そして、この場所が、かつて仕事で長年通っていた“宇陀の延長線上”にあることを改めて認識する。
■クラフトジンへの没入
同月、東京で恩師や友人たちと再会。
池袋のクラフトジンバー「Craft gin Bar Copain」を訪問し、さらにクラフトジンへの関心を深める。
この頃から、自宅でインフュージョンジンの試作を始める。
2024年7月
農業との接続
枚方市の農園「杉・五兵衛」にて、1か月間の農業インターンに参加。
・土
・植物
・香り
・季節
それまでとは異なる時間的感覚に触れる。
その後、マイファームにて大阪市内の小規模農園を借り、有機野菜を自ら育て始める。
2024年8月
小さな実験の始まり
試作したインフュージョンジンを試飲できる小規模イベントを、大阪・玉造のバーで開催。
また同月、宇陀市の体験移住施設を初めて利用し、1週間滞在。
その後も継続的に宇陀へ通いながら、地域との接点を少しずつ深めていく。
■模索していたもの
当時は、まだ「蒸留所をつくる」とまでは決めておらず、
・農業
・宿泊
・香り
・食
・地域文化
など、さまざまな可能性を模索していた。
2024年9月
宇陀での模索と、ボタニカルとの出会い
再び宇陀を訪問。
当時は、農業を軸とした宿泊事業なども視野に入れながら、宇陀周辺で物件探しを進めていた。
一方で、
・地域との接点づくり
・人とのつながり
・事業の方向性
などに苦戦し、「宇陀で事業をする難しさ」にも直面する。
■スパイスとジンの接続
同時期、スパイスカレーの食べ歩きを続ける中で、スパイスカレーとクラフトジンのソーダ割りを一緒に飲む体験に強く惹かれ始める。
以降、スパイス料理とジンを“ペアリング”として捉えるようになる。
■宇陀ボタニカルとの出会い
また、自作インフュージョンジンに加える宇陀産ボタニカルを探す中で、「ウェルネスフーズ宇陀」を訪問。山口農園会長との出会いが生まれる。
薬草や植物、宇陀の風土との接続が、少しずつ具体性を持ち始める。
2024年10月
宇陀での現場接続
東吉野村で体験移住を実施。
同時に、ウェルネスフーズ宇陀へ通い、3日間のインターンとして山口会長の業務を手伝う。
■地域で生きることを学ぶ
宇陀で事業を行うことの現実。
地域で経営を続ける難しさ。
地方で挑戦する覚悟。
そうしたことを、現場の中で学んでいく。
また、「もし本当に宇陀で挑戦するなら、全面的に応援する」という、大きな支えとなる人間関係も生まれる。
■初めての蒸留所相談
同月、奈良税務署を初めて訪問。
クラフトジン蒸留所設立について、初期相談を行う。
■“場をつくる”という実験
大阪・長堀橋「ヴィーノマンマルーヴァ」にて、「能登ジンと肉料理で能登を応援する」をテーマにしたペアリングコースイベントを開催。
満席での実施となり、後の「スパイスとジン、宇陀す。」へとつながる、
“場をつくる”という活動の原型が生まれる。
■バー・蒸留所との接続
同時期、京都のジンバー「C&D」にて、
後に重要な存在となるオーナーバーテンダー・山添氏と出会う。
また、蒸留所やバーへの訪問も増え始め、「本当に何をやるべきか」を模索している段階だった。
■上海での試作と蒸留研究
同月、上海を訪問。
駐在時代の友人たちと再会し、自作インフュージョンジンの試飲会を開催。
さらに、中国製2Lポットスチルを現地購入し、日本へハンドキャリーで持ち帰る。
香りや蒸留への探求が、少しずつ具体的な形になり始める。
■バンコクでのボタニカル探索
さらに、バンコクも訪問。
現地でしか入手できないボタニカルなどを購入し、試作を繰り返していく。
・香り
・スパイス
・植物
それらを組み合わせながら、独自の方向性を少しずつ模索していった。
■満席での実施となり、後の「スパイスとジン、宇陀す。」へとつながる、 “場をつくる”という活動の原型が生まれる。
■スパイス料理人との出会い
同月、大阪・なんばの「モダンスパイス虹の仏」を訪問。
誕生日ディナーコースを体験し、料理人のリョウヤ氏と出会う。
スパイス料理とクラフトジンの可能性について語り合い、「いつか一緒に何かやりたい」という話を交わす。
この出会いは、後に複数回開催するスパイスとジンのペアリング企画へとつながっていく。
2024年12月:また、スパイスカレーの食べ歩きも継続。2024年末までに、約100店舗を巡る。
■はらいそsparkleとの出会い
スパイスカレーやバー、飲食店を巡る中で、大阪・肥後橋の「はらいそsparkle」を訪問。
宇陀出身の店主・ジョル氏と出会う。
食、スパイス、酒、そして宇陀という共通の話題から交流が始まり、後に「スパイスとジン、〇〇す。」を共同で立ち上げることになる重要な出会いとなった。
2024年11月
宇陀との接続が深まる
曽爾村で体験移住を行い、ウイスキー・ジン蒸留所である「神息蒸溜所」を初訪問。
サラリーマンを辞めた後、何をやろうとしているのか。
地域でどのような挑戦を考えているのか。
そうした話を交わしながら、後につながっていく関係性が生まれる。
■初めて自分で企画したイベント
同月、大阪・玉造の元焼き鳥店を借り、スパイス料理のコースと、自作インフュージョンジンを組み合わせたペアリングイベントを開催。
約15名が参加。
結果としては大赤字のイベントだったものの、参加者からの反応は非常に良く、「ジンと食を組み合わせた場」への可能性を強く感じるきっかけとなった。
2024年12月
クラフトジン蒸留所構想と、“飲み歩く”という研究
関西ペイントの早期退職制度募集が始まり、サラリーマンを辞める決断を行う。
同時に、「宇陀でクラフトジン蒸留所をつくる」という構想を、明確に意識し始める。
■“お酒づくり以外”でどう勝負するか
一方で、お酒づくりの経験がない自分が、どのような形で勝負できるのか。
その問いに向き合う中で、
・食
・空間
・回遊
・人
・香り
・体験
といった側面から、クラフトジン文化を捉え直し始める。
■“飲み歩く”という研究
また、それまで続けていた
スパイスカレーの食べ歩きの延長線上で、大阪のバー、ジンバー、飲食店を巡りながら、
・どんなジンが飲まれているのか
・どんな店に人が集まるのか
・ジンと料理がどう響き合うのか
・“また行きたくなる店”とは何か
を、飲み手として徹底的に体験し始める。
当初は、「自分はまだジンを飲む量が足りない」という感覚から始まったものだった。
しかし結果的に、この“ジンを飲み歩く”という行動が、
・大阪ジンラリー
・関西ジンラリー
・回遊文化形成
へとつながっていくことになる。
また、スパイスカレーの食べ歩きも継続。
2024年末までに、約100店舗を巡る。
2025年1月
宇陀で事業を始める準備
宇陀市の体験移住施設へ滞在。
この頃には、サラリーマンを辞め、宇陀でクラフトジン蒸留所をつくることを決めていた。
一方で、まだ具体的に何をどう事業化するかは模索段階にあり、事務所となる物件探しを進めながら、事業計画を書き始める。
■“お酒づくり以外”でどう勝負するか
また、「お酒づくりから入っていない自分が、どう差別化し、どう市場で価値を出せるのか」を徹底的に考え始める。
同時に、
・スパイスカレー
・ジン
・バー
・飲食店
・香り
・空間体験
などの研究も継続。
■飲み歩きと研究の継続
2025年1月時点で、スパイスカレー食べ歩きは約120店舗に到達。
また、関西のバーや飲食店を巡りながら、「ジン文化は、酒そのものだけではなく、人や場によって成立している」
という感覚を、より強く持ち始める。
2025年2月
ShoGin.jp構想と、宇陀での拠点探し
最初に立ち上げようと考えたのは、クラフトジン文化を記録・紹介するメディア「ShoGin.jp」だった。
“人”を伝えるメディア構想単なる商品紹介ではなく、
・バー
・蒸留所
・作り手
・空間
・人間性
まで含めて、
クラフトジン文化を伝えることを目指し、立ち上げ準備を始める。
その一環として、
・TRIANGLE COFFEE
・C&D
・森の京都蒸溜所
などへの訪問を開始。
■宇陀での拠点探し
また同時期、宇陀市榛原駅前にて、事務所候補となる物件と出会う。
宇陀での縁をきっかけに、粘り強く交渉を続けながら、拠点づくりを進めていく。
■ブランド立ち上げ準備
一方、裏側では、1月に立てた事業計画をもとに、
・andground
・宇陀蒸留所
などのロゴ制作を開始。
上海時代からの友人が運営するデザイン会社へ依頼し、小さなブランドづくりも始まっていく。
2025年3月
宇陀での拠点契約と、クラフトジンコミュニティへの接続
宇陀市榛原駅前の物件契約が完了。
後に、andground合同会社として登記し、
酒類販売免許取得へとつながる、最初の拠点が決まる。
■クラフトジンコミュニティとの接続
同月、「大阪スピリッツ&リキュールフェスタ2025」へ初参加。
洋酒の志賀氏や、C&Dオーナーバーテンダー・山添氏とのつながりをきっかけに、クラフトジン蒸留所、バーテンダー、作り手たちとの接点が一気に広がり始める。
この頃には、「ジンそのもの」だけではなく、
・人
・店
・空気
・文化
・回遊
そのものに強く惹かれ始めていた。
■飲み歩きの蓄積
2025年3月時点で、大阪・京都・神戸を中心に、ジンと料理をペアリングで楽しめる店、ジンバーなど、約30店舗以上を巡る。
また、スパイスカレーの食べ歩きも継続し、累計約150店舗へ到達。
■サラリーマンを退職
学生時代から含めると、
・バー
・文化人類学
・編集思想
・海外事業開発
・経営企画
・組織改革
・上海
・クラフトジン
・スパイス
・宇陀
さまざまな経験が、少しずつ一本につながり始めていた。
この時点では、まだ蒸留所があったわけでも、商品が完成していたわけでもない。
あったのは、
・宇陀という土地
・ジンへの熱量
・小さな試作
・飲み歩き
・人とのつながり
・“場をつくる”という感覚
だけだった。
しかし、「文化を、現場から育てる」という方向性だけは、明確になっていた。
ここから、andgroundとしての活動が本格的に始まっていく。